Kaita City Life 海田市生活

次はどこ走ろうか

Vリーグ岡山大会20161126 (2) 集まれ九鱗会OB

日立リヴァーレの監督は松田明彦、相変わらず格好いい。
全日本のセッターだったときもあるし、日新製鋼のセッターだった事もある。
その前は東レ九鱗会のセッターだった。
ちょっとした思い出の選手。

松田が現役当時の九鱗会は大卒の一流選手にはナカナカ縁がなかった。
大学リーグで活躍していた様な良い選手が獲れた時は「小さいから他が獲らなかった」なんて時だけ。
セッターで活躍した吉松昭二なんかがそう、180cm無かった。

松田もそんなクチ、と父が言っていた。

九鱗会は吉松加入でやっと実業団リーグを脱出して日本リーグ入りが出来た。

ただ、ほんの数年の在籍で退部・退社してしまった。地元に帰らなくてはならないって話だったと思う。
松田は九鱗会にとって吉松以来の他チームに見劣りしない良いセッターだったからプレーを見るのは楽しかった。
ただ、彼が九鱗会に居た頃は鋼管の古川靖志がバリバリで全日本での出番は無かった。

1989-90年の日本リーグで九鱗会は入れ替え戦出場になった。
そんなある日、「松田が練習に出て来てない、会社辞めるって言って聞かないらしいんだ。」と父親の衝撃後援会情報。
「あいつ居ないと入れ替え戦勝てないよ」とあたふた。
当時の九鱗会はそんなに良い雰囲気のチームじゃなかった様に思う。
ボクは三島工場の体育館には時々練習を見に行っていた。今のアローズの体育館は社宅があった所に建っていて工場の敷地外。泉川が入った時は練習後に体育館の入り口に出待ちの女子が並んでいた。でも、この頃の体育館は三島工場の敷地内でプールの横。守衛さんに「バレーボール見たいんですけど」というとノートを広げてくれるので、そこに名前を書いて入場した。だから見学者なんて片手も行かないのが普通。
練習でぱっとしない選手が居ると監督と器具室に消えて、ドンガラガラと大きな音が聞こえてくる、そんな感じ。
見学している高校生のボクにも何があったのかは簡単に想像がつく。

父親に話すと「あの監督はしょっちゅうだよ」との答え。
そんな雰囲気が天才肌の松田には耐えられないんだろうっていうのが父親の見立だった。

当初は行方不明という話だったけど、程なくして居所判明。まあ、三島だしね。
結局「移籍させてやるから入れ替え戦はトス上げろ、その位の責任持たないとバレー出来なくなるぞ」みたいな話になって出場が決まった、というのが父親の後援会情報だった。川合俊一獲得競争の時もそうだったけど後援会情報は結構面白かった。
入れ替え戦は、セット率で何とか残留が決定。松田は日新製鋼に移籍して活躍。全日本のセッターにもなった。
松田の後、「これは」というセッターはロイ・ボールまで待たなくてはならなかった、とボクは思っている。

リヴァーレは後見人みたいな感じで菅原貞敬さんがいて、東レ九鱗会にとって縁浅からぬチーム。
秦野で女子の入れ替え戦があるって知って出掛けた時、リヴァーレとデンソーとの入れ替え戦で菅原さんを見つけた時は思わず実家に電話してしまった。
「菅原さんってまだ生きてるし、バレーの仕事してるよ、江畑に訓示たれてた。」

親もビックリ、「えっ、だっておじいちゃんでしょ、菅原さんって」その通り。

泉川も監督じゃあなくなったけど会場で目にする機会はあるだろう。
菅野幸一郎も監督復帰。ボクは菅野の大ファンだったので復帰は嬉しい。

 

父と一緒に応援した九鱗会OBが活躍しているのはちょっとした楽しみ。
バブル世代のボクは流石に菅原さんの現役時代は知らない。

チーム・選手紹介 | 東レアローズ男子バレーボール部 | TORAY