道後温泉に初めて出かけた時の事
バレー観戦で久々の松山旅行をした。
金曜に母親に広島まで来てもらって、牡蠣鍋食べて寝て、翌朝エース、母親、ボクの3人で山陽道としまなみ海道を経て松山入りした。
母親にとっては初めての松山だったらしい。エースとは三回目みたいだけど良く覚えていない。
ボクが松山に初めて行ったのは、広島に引越ししてから、来島海峡大橋を渡ってみたくって何となく出かけた時。
大衆迎合高速無料化政策の前でしまなみ海道の通行料金が高く7000円位かかったので、まっすぐ帰るのがもったいなくなり、そのまま松山までついでに行ってしまった。
折角だから道後温泉まで行ってみようと思って道後温泉駅の前まで行ってみた。
そこまで来て初めて「はてさて今日はどうしよう、適当に電話して今夜泊まる所見つかるとも思えないしなあ」と考え込んでしまった。
浅はかな話である。
と、そこへ少し腰の曲がった頭が真っ白なばあさんが寄って来て助手席のガラスをコンコン叩く。何だろうと思って窓を開けると「あんたココ駐車しちゃだめ」と注意された。「すいません」と謝り直ぐ動かそうとすると「ところで泊まる所あるのかね」と聞いてくる。この婆さん何の用だろうと警戒感が沸きあがってくる。
適当に別のことを話すと「聞いていることに答えなさい、今日泊まるの?泊まる所あるの?」と繰り返し聞いてくる。「今からでも安い所があれば」と答えると「食事は何回いるか、値段は、温泉は」と条件を聞いてきた。
「朝だけでいい、一万円以内、温泉つきが良い」と答えると「夕食無しで良ければ多分ある、道後は高い所が埋まるのが早いから、今から夕食つきを求められても難しい」との事だった。
じゃあってんで、婆さんはボクの車の助手席に滑り込み、ボクに発車させてから電話し始めた。道案内である。
案内されたのは、3-4階建ての昭和の何時ごろ造ったかわからないようなボッコのホテルだった。畳は古びていて表替えしないのは如何なものかと感じるレベルだった。
掃除はきちんとしてあったので取り合えずOK、宿泊する事にした。
何てホテルかは覚えていない。
婆さんに話したとおりに飯は道後湯之町に食べに出かけた。土産物屋で器見たり饅頭見たりしていると化粧の濃い女が話し掛けて来た。
「これからどうするの?遊んでいかない」だそうである。
さっきの婆さんが客引きだったら嫌だなって思っていたんだけど、婆さんなんか使わなくって自分で客引いているんである。
ボクは婆さんが怪しい店の関係かと思ってビビッたんだけど大アマ。
そっかぁ、大きい温泉街って未だにこういうのあるんだーと妙に感じ入ってしまった。「俺、今日はその辺で飯食って寝るから」と丁重にお断りして食堂に入りました。
伊豆長岡とか修善寺とか箱根でこういう話は聞いた事が無かったので衝撃だった。
こんなのって昭和20-30年代の事だと思っていた。
初めて別府に行った時も客引きに捕まって、こん時の客引きは松山の婆さんと同じくらいの年代に見えた。こっちは婆さんが客を引いて、相手をする人は別の所に居るってやり方のようだった。
適当に定食かなんか食べて、ホテルに戻ってから風呂に入った。浴場は地下の大浴場のみだったんだけど1人でゆったり入れたので気持ちよかった。布団は立派じゃないけど清潔にしてあった。
翌朝の飯はご飯、味噌汁、アジの開き、漬物だけだった。
ホカホカ弁当にコールド負けで全然美味しくなかった。
とりあえずコンビニにおにぎりを買いにいく手間は省けた。
持って来てくれたおばちゃんは良い感じの人だったけど刀傷と思われる大きな傷があって、数珠みたいな健康グッズを巻いていた。外傷が治ってからも痛みが出る事があるから数珠を巻いているんだという話だった。
ボクがつけているファイテンのリストバンドに興味津々だったので「血行が良くなりますから今つけているのより良いかもしれませんよ」と説明して会社の名前とどんな所で売っているか教えた。
おばちゃんはメモを取って下がっていった。
その後は松山城を見て次の目的地に出かけた。
今回は道後やや。
蛇口をひねるとみかんジュースが出てくるホテルだった。