【しまなみ海道】大島・江越峠の前に「しまのダイニング」で腹ごしらえ
江越峠に4年ぶりに挑戦
大島に江越峠という峠があります。道が狭く通行しにくいのでメジャーではありませんが結構な坂です。今回はこの峠にチャレンジする事になりました。以前、食堂みつばちでランチした後に通りました。「食堂みつばちの前の道をそのまま行けば吉海いきいき館に出るよ」って何も知らずに。この時は、最後の急こう配でエースが自転車を放り出して道路わきに体育座りしてしまいました。
リベンジしたいそうです。エースの発案で盛港から大島に向かう事にしました。
そんなわけで忠海港で自転車作成。
大久野島で家族連れが下船します。5-60人かな?入国規制の影響で少ないです。
盛港着。
伯方SCで昼食にするか大島の「みやくぼしまのダイニング」にするか思案です。「みやくぼしまのダイニング」にTELすると「10:30開店ですが、ご飯を炊き忘れたので、少し遅くなるかも」って意味わからん。でも10-20分の待ちで済むだろうし、まだ15kmほどしか走っていないからって事で宮窪に向かう事にしました。
みやくぼしまのダイニング
ほぼ20km走って到着です。
この前、次はココに来たいんだってエースが行っていた店。
古民家とはちょっと違う古い建物・・・・はミカンのための納屋だったそうな。
安心してください!
入れますよ!
お手洗い新しくて綺麗です!!
1400円のランチメニュー一択でした。
デザートを遠慮すると100円引きだとか。
うーん、51Curry以来の感動。
店内にあった「しまなみ島走Book」によると、名駒峠の方が江越峠より緩やかという事でした。江越峠での余裕度によっては結の屋MITSUBACHIまで足を延ばし、名駒峠も越えてはどうかと提案しましたが、アッサリ却下!
でも、先回2016年4月10日はそっちに行っていたんだよね。
「しまなみ島走Book」はプロフィールマップといって高低図が載っています。ウチにある「瀬戸内7海道サイクリングガイド」よりもしまなみ海道については役立ちそうです。今治から始まる本は初めて見た気がします。買おうかな?
次に来たいお店はココ魚蔵なんだとか。
食堂みつばち跡
さて、本日のメイン江越峠へ。
緑のトンネルの中を走っている様子を撮れとか相変わらずウルサイ。
着いたよぉー。
エースはまだ走っていて、すぐそこ。
鏡の中に二人ともいるんだけど良く分からん。
エースは3回足を付いたそうですが、ちょっと息を入れてすぐ再出発したそうです。やっぱり、10%程度(多分)の坂になると、サドルにググッと体重が掛かってしまいます。本人によると坂が急になると逆回転しそうになるそうです。少し悔しそうでしたけど体育座りの前回よりは全然ましなので、とりあえず合格点で良いんじゃないかと思います。
ここからR317に戻るのですが、亀老山を登ってきたように見えるところが照れます。
MITSUBACHIは移転して宿に。
そのまま島の外周を走りバラ公園へ。
R317に戻り、石のcafeでお休み。
WAKKA.
最近こういう宿が増えました。泊まりたいそうなのですが、ここは26000円と高杉君。
盛港に帰ってきました。68km。
やっぱり、エースには70kmでちょっと坂あり位が丁度良さそうです。
しまなみ海道を走って多々羅大橋も来島海峡大橋も通行しなかったのは初めてです。この二橋に拘らなくともコース組めますね。
エースは、どうしても大三島一周がやりたいみたいなので、考えてみましょう。
お風呂と夕食
この後は賀茂川荘でお風呂。
海田に帰って辛部でつけ麺。
海田町は広島市とは陸続きで隣接しています。「初上陸」って辛部は宇品港から海田町に船でやってきたのだろうか?
熊本豪雨
7月6日の朝は町内放送があり、西日本豪雨で亡くなられた方に黙祷を捧げました。
海田町でも三迫の方が亡くなりました。避難時に瀬野川の支流の濁流に飲み込まれて流されてしまい、広島湾で見つかったそうです。もう何時間か早く非難していれば無事だったろうし、諦めて二階で雨が止むのを待っていても無事だったでしょう。幸いにして三迫は坂町小屋浦や呉市天応の様にはなりませんでしたから。
自分は車通勤で「帰れる人は帰ろう」というメールが再三来たにもかかわらず退社が遅れて通勤路は渋滞。通常の3倍の時間をかけて帰宅。
翌日災害情報をチェックすると前夜通った道路は数か所で崩落しており通行不能となっていました。その道で死者が出たという話は無かったので、崩れたのは深夜で、命拾いした人は沢山という事の様です。長期の片側交互通行を経て、大抵の箇所は工事が終わりましたが、未だに工事をしている箇所もあります。
真備町では熊本への寄付の準備を進めているようでした。身近に支援物資を募っている所が無いか調べつつ、まずは「さとふる」で寄付か。
なーんて事を考えていたら広島も各地に避難指示が出る事態になってしまいました。
一昨年の教訓を生かさなくては。